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終章 ただいまの、その先へ

最終話

みつけた

帰還から、ひと月が経った、ある晴れた日。

逢魔の施設の一室に、正十二面体が、安置されていた。

約束の日だった。

――終わったら、返してもらう。皆と一緒に見る。

部屋には、全員がいた。ミナト、朱音、佐紺。エティン、ダスラ、ニサバ。ロタ、エイル、ウェスタ、アヤ。カーネリアと、イナンナ。誰一人、欠けずに。

ツクヨミは、箱の前に座った。

「……ミナト。頼む」

「はい」

返還の術式は、静かに始まった。一万三千年前、一人の男が「思い出したくなった日のために」と仕舞った記憶が、光の粒になって、箱から、持ち主の元へ、還っていく。

花冠の日。

おやすみを配って歩いた、夕暮れ。

海辺で、名を呼び合った日。

集落の、笑い声。祭りの、太鼓。誰かの、婚礼。誰かの、産声。跳ねるように駆けた、あの足取りの、記憶の全部が――

ツクヨミは、声を立てなかった。

ただ、銀色の目から、涙だけが、止まらずに流れ続けた。一筋、また一筋。彼女は、拭わなかった。拭う手間も惜しいというように、還ってくるものの全部を、まばたきもせずに、受け取り続けた。

最後の一粒が、還った。

長い、長い静寂のあと――彼女は、濡れた顔のまま、笑った。

「……わしは」

声が、震えていた。震えたまま、澄んでいた。

「幸せじゃったのじゃな。あの頃も。……そして――」

彼女は、部屋を見回した。最初の巫女たちの血を継ぎ、あの日、自ら眠りを選んだ娘たちの顔。数か月を共に戦った顔。月から拾ってきた顔。

「――今も、じゃ」

過去が、現在を、脅かさなかった。

二つの幸福が、一万三千年ぶりに、一本の糸に、繋がった。

それから、数か月が過ぎた。

世界は、少しずつ変わり始めていた。黒き方舟がもたらす技術は、病を癒し、壊れた土地を静かに修復していった。

逢魔はその窓口となり、世界中の政府と、慎重すぎるほど慎重に交渉を重ねていた。

ツクヨミを神と呼ぶ者が現れた。救い主と呼ぶ者もいた。方舟の名を冠した祈りが、どこかの国で生まれたという報告もあった。

その報告を聞いた夜、ツクヨミは鵜飼の拘束を解くよう命じた。

「正気ですの、ツクヨミ様」

最初に声を荒げたのは、ダスラだった。

医務長の声ではなかった。主を傷つけたものを前にした、セラフの声だった。

「許すとは、言うておらぬ。忘れるつもりもない。あやつのしたことは、消えぬ。……じゃが、必要なのじゃ」

ツクヨミの声は、凪いでいた。その凪ぎ方がかえって、誰にも反論を許さなかった。

「わしを止める者が、要る。わしが、いつか人の敵となったとき。わしが、わし自身の意思で止まれぬものになったとき。――人の側に、わしを止める手を残す」

「なりません。そのような役を、よりにもよって、あの男に」

「だからこそじゃ」

ツクヨミは、扉の向こうへ視線を向けた。

「セラフは、わしを愛しすぎる。逢魔は、わしの恩恵に近すぎる。ミナトたちは、わしを知りすぎた。最後の最後で、ためらわずに引き金を引ける者が、他におらぬ」

「……信じて、おられるのですか」

エティンが、問うた。

「わしは、あやつの善意を信じておるのではない。あやつが、わしを信じすぎぬことを信じておる」

やがて、鵜飼が呼び入れられた。拘束具は外されていたが、部屋の誰も、彼を自由な人間としては見ていなかった。彼は誰にも弁明せず、ツクヨミの前で、ただ短く、頭を下げた。

「鵜飼。お主に組織を作ってもらう。わしの停止装置を管理し、わしが暴走したとき、人類の側から起動する。その判断を、お主らに預ける」

鵜飼は、しばらく黙っていた。

「……私に、それを任せる理由を伺っても」

「お主なら、わしを神として拝まぬ」

ツクヨミは、即答した。

「承知しました」

返事は、短かった。

「軽々しく、引き受けるのですわね」

ダスラが、目を細めた。

「軽くはありません。ですが、私に拒む資格はない」

「名は、何とする」

「では、エンノーズ、と」

鵜飼は言った。

「役小角(えんのおづぬ)より取りました。かつて、神を呪で縛り、使役したと伝えられる者の名です。……崇拝の名では、抑止にならない。神を神として拝む者は、最後の瞬間にためらう。ならば、神を縛った者の名を背負う者が、必要です」

ツクヨミは、しばらく鵜飼を見て――わずかに、目を細めた。

「よい名じゃ」

「不快では、ありませんか」

「不快じゃ」

ツクヨミは、あっさりと言った。

「じゃが、その不快さが要る。人選も、同じじゃ。わしを慕う者を選ぶでないぞ。恩を知り、その価値を知り、それでも必要なら疑える者を選べ」

「難しい人選です」

「じゃろうな。……それと、鵜飼。お主らの役目は、わしの暴走に備えることだけではない。わしはこれから、多くのものを人に渡す。命を延ばすことは、死の意味を変える。便利さは、人の手足を弱くすることもある。善意であっても、行き過ぎれば、毒になる。……推進する者と、拮抗せよ。恩恵の前に立ち、あえて不利益を数えよ。嫌われるじゃろう。遅い、冷たい、恩知らずと罵られるじゃろう」

「承知しています」

「ならば、――頼む」

ツクヨミは、まっすぐに言った。

「わしは、お主を許しておらぬ。じゃが、お主になら、わしの不信を預けられる」

鵜飼の表情が、初めて、わずかに歪んだ。

彼は、その重さを黙って受け取った。

「お主らは、わしの牙だけを見張るのではない。――わしの善意も、見張れ」

――それから、時間は、優しく流れ始めた。

最初の数年の、点描。

黒金・西園寺技術研究所は、雑居ビルの二階から始まった。

最初の製品は、船の濾過技術を降ろした、小さな浄水装置だった。「嘘のない技術だけを作る」という社訓は、投資家への説明で毎回笑われ――五年後、誰も笑わなくなった。汚染地域の水を、泥水から飲み水に変える装置が、三つの大陸で、数百万人の命を支え始めていたからだ。

社員名簿の大半は、経歴欄が「一身上の都合により一万三千年休職」としか書きようのない女性たちで占められていた。ロタは製造部門の長になり、エイルは品質検証の鬼と呼ばれ、ウェスタは社員食堂で伝説になった。彼女たちは、働き、恋をし、家庭を持つ者も現れ、それぞれの人生を、初めて「任務」の外で、歩き始めた。

ニサバは、当然のように経営管理の全てを握った。佐紺との連名の様式は、いつからか――誰も驚かなかったが――同じ姓で署名されるようになった。ロタが「知ってた」と言い、社員一同が頷いた。

ダスラは、財団の医療部門に革命を起こしていた。

治療ポッドの原理の、段階的な開示。再生医療の、常識の書き換え。彼女の監修した治療法が、それまで「諦めるしかなかった」病を、一つ、また一つ、諦めなくていいものに変えていった。学会は彼女の正体を計りかね、患者たちはただ「赤い先生」と呼んで慕った。

その隣に、いつも、一人の弟子がいた。

朱音は、大学で学び直し、介護と看護の道へ進んだ。最先端を切り拓く師の隣で、彼女の持ち場は、いつも、一番地味な場所だった――眠る人の、隣に座る仕事。手を握る仕事。目覚めた日に、最初に「おかえり」と言う仕事。

「……朱音さんは、最先端に興味はありませんの?」

ある夜、ダスラが訊いた。いつからか、呼び方は「様」ではなくなっていた。仕える者の呼び方ではなく、同じ白衣を着る者の呼び方だった。朱音は、笑った。

「興味あるで。せやから、ここにおるねん。……技術がどれだけ進んでも、隣に座る係だけは、機械にでけへん。うちの三年間が、それ、知っとるから」

週末には、父とゲームセンターに行った。父は、弱かった。娘は、三年かけて、手加減を覚えた。

そして、逢魔は――変わった。

九十九財団は、船から降ろされた技術力を背景に、国境を越えた人類保護組織へと、静かに、脱皮していった。旗印は、八代の遺した設計図の、あの一行。

理不尽な涙のない世界。

その旗の下に、三人が立った。

災害があれば、赤い髪が、真っ先に瓦礫へ降りた。カーネリアの熱は、崩落現場を切り拓き、凍える被災地を暖め、そして彼女自身が、泣いている子供の隣で誰よりもおろおろすることで、なぜか人々を笑わせた。

紛争があれば、白い少女の観測記録が、交渉の卓に置かれた。イナンナの事実認定は、どの国の情報機関よりも正確で、どの陣営の嘘も、彼女の『観測結果と、一致しません』の一言の前に、崩れた。

そして、その中心に、いつも、銀色の髪があった。黒い巫女服の少女は、組織の象徴として、しかし象徴に留まらず、現場の最前線に立ち続けた。人々は、やがて彼女たちをこう呼ぶようになった。

――空から来た、三姉妹。

正体を知る者は、少なかった。ただ、「あの三人が来ると、助かる」ということだけを、世界は、覚えていった。

――時間は、さらに流れた。

海の見える丘に、一軒の家が建った。

黒金家だった。縁側のある、大きすぎない家。その縁側で、ある夏の日、ツクヨミは腕の中に、小さな重みを抱いていた。

ミナトとエティンの、娘だった。

赤ん坊の小さな手が、銀色の髪を掴んで離さなかった。

「……こら。わしの髪は、玩具ではないぞ。……こら。……聞いておるのか、お主」

言いながら、その顔は、抱き方は、どこまでも、柔らかかった。庭では、少し老けたミナトと、白髪の混じり始めたエティンが、洗濯物を干しながら、その光景に笑っていた。

ツクヨミは、この家の養女になっていた。書類の上では。

実際のところは――娘であり、姉であり、一万三千歳の末っ子だった。

カーネリアが任務の合間に押しかけては、赤ん坊を抱きたがって泣かせ、イナンナが正確な揺らし方であやし直した。縁側には、いつも誰かがいた。朱音が、佐紺一家が、ダスラが、かつてのセラフたちが、それぞれの家庭と人生の報告を持って、入れ替わり、立ち替わり。

「飯は、時々、皆で食え」――唯一の規定は、守られ続けた。

夜、赤ん坊を寝かしつけたツクヨミは、縁側から月を見上げた。

糸の向こうで、本体が、応えた。三十八万キロの彼方から、寝物語のような、静かな揺らぎが。

「……見ておるか」

彼女は、囁いた。

「わしにも、家族が、できたぞ」

月が――いつもより、少しだけ、明るく見えた。

庭の桜が、咲いて、散った。

何度も。何度も。

家の住人は、増えて――やがて、静かに、減っていった。

ある夕暮れの縁側で、すっかり年老いたミナトが、隣に座る、姿の変わらない銀色の少女に言った。

「……ツクヨミ。俺が逝ったら――泣くなよ」

「……嘘は、つけぬ」

彼女は、前を向いたまま、答えた。

「泣く」

「……そうか」

老人は、笑った。若い頃と同じ、静かな笑い方で。

「なら――泣いたら、誰かに、撫でてもらえ。朱音さん直伝の、あれだ。……あれは、効く」

「…………うむ」

「大丈夫、きっとまたいつか――」

それが、二人の、最後の約束になった。

その日が来たとき、ツクヨミは、泣いた。

縁側で、膝を抱えて、声を上げて。一万三千年と数十年ぶんの、遠慮のない泣き方で。

そして――約束通り、撫でられた。

右から、無言で、頭に置かれる、少し熱い手。

左から、ためらいがちに添えられる、ひんやりとした手。

「……朱音直伝のやつ。効くんでしょ、これ」

「観測結果。……効いています」

三人は、夜が明けるまで、そうしていた。

人間たちを見送る側の三人が――これから何百年も繰り返すことになる、その、最初の夜だった。

――そして。

三百年が経った。

世界は、大きく変わっていた。

黒金・西園寺技術研究所を源流とする技術体系は、三百年かけて文明の骨格を編み直していた。枯れない水。尽きないエネルギー。「諦めるしかない病」という言葉は、医学史の教科書の中の死語になった――その教科書の冒頭には、今も、正体不明の「赤い先生」の名が、医聖として記されている。

「隣に座る係」は、一つの職業として確立していた。どれほど技術が進んでも機械に代替させない、と人類が決めた、数少ない仕事の一つとして。その職業倫理の教本の第一頁には、創始者の言葉が、関西の言葉のまま、引用されていた。「技術がどれだけ進んでも、隣に座る係だけは、機械にでけへん」。

九十九財団は、国家の枠を超えた、人類保護機構になっていた。旗印は、三百年、変わらなかった。理不尽な涙のない世界。災害の犠牲者は、三百年前の百分の一になった。戦争は――絶えては、いなかった。だが、始まった戦争が調停されるまでの日数は、年々、短くなり続けていた。

朱音の書いた、あの本。

その本は逢魔の中で、幾度も写本されることになった。

最初は、ただの記録だった。

黒い船に乗った一人の少女が、忘れないために書いた、拙く、騒がしく、ところどころ泣き言の混じった航海記。

写本の一冊が、いつ、誰の手で塀の外へ出たのかは、記録に残っていない。ただ、外の世界でそれは、事実としてではなく、よくできた物語として読まれた。書かれた夜に交わされた覚悟の、そのとおりに――最初は、誰も信じなかった。

開示が世代を重ねて進み、物語の一行一行が公式の記録と重なり始めたとき、人々はようやく知った。それが作り話ではなく、航海記だったのだと。

時代が過ぎるにつれ、その本は別の名で呼ばれるようになった。

黒き方舟の書。

月を抱いた船と、そこに乗った者たちの物語。

ある者は、それを聖典と呼んだ。ある者は、伝説と呼んだ。ある者は、ただの少女の日記だと言った。

朱音本人が聞けば、きっと笑っただろう。

「大げさやなあ。うちは、忘れたくなかっただけやのに」

そう言って、少しだけ照れながら。

そして、その本が人々に方舟の光を伝えていく一方で、もう一つの名もまた、静かに世界へ刻まれていった。

エンノーズ。

後に、世界で最も嫌われた組織の一つになる名である。

黒き方舟が人類にもたらす恩恵が大きくなればなるほど、その方舟を止めるための者たちは、恩知らずと呼ばれた。救い主に刃を向ける者。神を疑う者。月を抱いた船に、鎖をかけようとする者。

三百年の間に、エンノーズが方舟由来の恩恵を差し止め、あるいは凍結した事例は、公式の記録にあるだけで四十を超える。最も知られているのは発足九年目――老化抑制技術の全面開放を、「審議未了」の一言で二十年凍結した一件だ。世論は沸騰し、本部の窓には石が飛んだ。二十年後、段階開放の設計が世代間の断絶を最小限に留めた、と歴史が評価を改めたときも、彼らは会見ひとつ開かなかった。嫌われることも、職務の一部だった。

その先頭に立った鵜飼は、生涯、一度も弁明しなかった。

ただ、死後に整理された執務机の奥から、一通の記録が見つかったという。

エンノーズ発足の日、黒き方舟から届いた、短い通信。

『頼む』

礼でも、赦しでも、慰めでもない。

けれど、それは確かに、鵜飼にとっての救いだった。

彼は神を憎んで疑い続けたのではない。

神自身に頼まれて、疑い続けたのだ。

夜空を見上げれば、月がある。

優しい明るさの、いつもの月。その傍らに黒い船が寄り添っていることを、今では、世界中の子供が知っていた。三百年前に公開された、あの日の記録とともに。月の傷は、癒え続けていた。まだ癒えきってはいなかった。四十五億年の傷なのだ。だが埋まった場所に新しい亀裂は、三百年の間、一度も走っていなかった。

――それでも。

その夜も、世界のどこかで、理不尽は起きていた。

どこかで大地震があり、どこかの国境で銃声があり、どこかの街角で、誰かが、誰にも気づかれずに泣いていた。

三百年、進み続けて――まだ、道半ばだった。

八代の設計図は、それを最初から知っていた。何千年かかっても、と書いた男は、三百年で終わるとは、一行も書かなかった。

だから、旗の下の者たちも誰一人、道半ばであることに絶望していなかった。気の長い航海に慣れた船の、乗員たちだったから。

ある日の夜。

人類保護機構の本部塔の屋上に、二つの人影が降りてきた。

彼女たちは任務帰りだった。一人は環太平洋の震災現場から。もう一人は大陸の停戦交渉の席から。三百年後の洗練された機能素材の隊服に身を包んだ――赤い髪と、水色の髪。

「はー……今回も、キツかった!!」

赤い髪が大の字に伸びをした。

「観測記録。姉様の『キツかった』は、今年、三十一回目です」

「数えるな!!」

「傾向分析のために必要です」

「必要ないし! イナンナ、あんた三百年経ってもそういうとこ変わんないよね!」

「変わる必要性を観測していません、西園寺カーネリア」

「フルネームで返すな! なんか怒られてるみたいじゃん、早川イナンナ!」

「怒っています」

「怒ってた!!」

三百年も変わらない応酬だった。

戸籍を作る際、カーネリアは機関科で最も世話になった佐紺とニサバの姓を選んだ。「別に養女とか、そういうんじゃないし」と言い張ったが、西園寺家の書類には正式に娘と記された。

イナンナは、朱音の父から「朱音に妹ができたようなもんや」と言われ、長い演算の末、早川の姓を受領したのだ。

そして、二人の傍らに――黒金ツクヨミが立っていた。

三百年前と寸分違わぬ、黒い巫女服のワンピース。夜風に揺れる銀色の髪。時代がどれだけ装いを変えても、彼女だけはあの船の巫女の姿のままだった。何も付けていない細い首が、夜風を浴びていた。

三人はしばらく並んで、夜景を見ていた。

眼下には、三百年分の灯り。人の暮らしの無数の窓。そして頭上に、月。糸は――三百年、一度も切れていなかった。

「……ねえ。次の休み、どうする? また皆の子孫のとこに飯食いに行く?」

「観測。黒金家現当主より、既に招待が届いています。『規定ですので』と」

「あはは、あの家の人間らしいな――」

姉妹の声を、聞くともなく聞きながら。

ふと。

ツクヨミが――遠くを、見た。

街の灯りの、ずっと向こう。夜の雑踏の、そのまた奥。

何を見たのか、隣の二人には分からなかった。彼女の目が何を捉えたのか。糸のいちばん深いところに、何が触れたのか。

彼女は何も言わなかった。

誰にも、何も。

ただ――静かに、微笑んだ。

一万三千年前、それは孤独の底から、たった一人を見つけた声だった。

三百年前、それは一万三千年越しの探索の果ての、掠れた声だった。

そして今――家族に両側から挟まれ、空の家族に見守られ、道半ばの世界の灯りを見下ろしながら。

もう独りではない者だけが言える、いちばん優しい声で。

「――――みつけた」

黒き方舟は今夜も、静かに月を抱いている。

(完)