第三章 壊れた親と、鎖の子ら
二十八
鎖
コクヨウは、封印海域の南方で北進を止めていた。カーネリアとの戦闘で受けた損傷を修復し、図書館の第二層を開く準備を整えるためである。流氷帯の外縁を低速で周回しながら、敵の再接近を警戒していた。
北進を再開すれば、封印海域までは一日の距離だった。
「高熱源、接近!」
朝のCICへ、エイルの声が鋭く響いた。
「敵性個体、一。先日交戦した巨艦、カーネリアと推定します。速度は前回を上回り、針路は本船へ一直線。随伴個体は確認できません」
「単独……? イナンナはおらんのか」
「観測される熱源は、一つだけです」
全周囲ホログラムに北の海が映し出された。
水平線は、すでに赤く染まっている。巨大な水蒸気の壁が、前回よりも高く、荒々しく、空を塞ぎながら近づいていた。
その直後、全帯域の通信が外側からこじ開けられた。
『――ねえ』
聞き覚えのある声だった。
だが、前回の弾むような明るさは剥がれ落ち、残っているのは、抑えきれない熱だけだった。
『あんたたちでしょ。妹に、変なことを吹き込んだの』
「……カーネリア」
ツクヨミが静かに応じた。
「妹御に、何があった」
『とぼけないでよ!!』
怒声と同時に、海が大きく震えた。
巨艦全体から放たれる熱量が一気に跳ね上がり、水蒸気の壁が内側から膨張する。
『イナンナ、連れていかれた! お父様の直衛区画に! 隔離だって! あの子が、あんたたちの船を庇ったから! 変な単語を持って帰ったから!』
通信の声は怒鳴っていたが、その途中で何度も揺れた。
『全部、あんたたちのせいじゃん……!』
ほんの一瞬だけ、声量が落ちる。
『返してよ』
次に響いた声は、先ほどまでの怒声よりも、ずっと切実だった。
『あたしの妹を返してよ。あたしの居場所を、返してよ!!』
第一射が放たれた。
前回のように、処理できない熱が無差別にあふれたのではない。明確にコクヨウを狙い、収束させた熱線だった。
「回避!」
コクヨウが急旋回する。
熱の刃は船体を外れたものの、右舷を掠めるように通過した。直撃していないにもかかわらず、装甲の表面が一瞬で飴色に輝き、外部観測器のいくつかが溶け落ちる。
「総員、対熱防御! 戦闘形態へ移行!」
「ツクヨミ様」
ニサバが、誓約封第二段の解除後に更新された戦力試算を表示した。
「現在の出力であれば、正面から押し返せる可能性があります」
「ならぬ」
ツクヨミは即座に断じた。
「力比べで押し切ることはできるやもしれぬ。じゃが、その果てにあるのは、あの子の本体を砕くことじゃ」
銀色の目は、迫る巨艦から逸れなかった。
「約束したはずじゃ。撃つのは、聴いたあと。わしらは、まだあの子から何も聴いておらぬ」
「聴くって、あの状態でどうすんねん!」
朱音が管制席から叫ぶ。
「話しかけても、まともに聞く感じやないで!」
「外から届かぬのなら、届くところまで行く」
ツクヨミの視線が、ミナトへ向いた。
ミナトも、ほとんど同じ結論へたどり着いていた。思考が糸を通じて伝わったわけではない。だが、外からの呼びかけを拒絶されている以上、残された方法は一つしかなかった。
「物理接続ですね」
ミナトは言った。
「あの艦へ直接回線をつないで、中枢から呼びかける」
「うむ。そのためには、まず捕まえねばならぬ」
ツクヨミは、燃える巨艦を見据えた。
「向かってくる太陽を、素手でな」
無茶な条件が、作戦卓へ置かれた。
その無茶へ真っ先に手を挙げたのは、管制席にいた朱音だった。
「一個だけ、思いついたことがある」
朱音は、深度図を開いた。
「めちゃくちゃ無茶やけど……海の底、借りてええ?」
◇
作戦は、カーネリアへ背を向けるところから始まった。
「急速潜航! 潜舵最大!」
コクヨウは船首を下げ、海面を蹴るように真下へ潜った。
戦闘形態の鋭い輪郭が、深海の圧力へ耐える形へ変わっていく。外殻が丸みを帯び、耐圧装甲が幾層にも重なり、四百メートルの巨体が海中へ突き進んだ。
『は!? 逃げた!? 逃げんの!?』
海面の上で、カーネリアの声が裏返った。
『待ちなさいよ! 勝負は、これからでしょ!!』
熱線が、海中へ突き込まれた。
「深度五百。上方から熱量増大!」
海面から伸びた最初の熱線は、左舷から二百メートルほど離れた海中を貫いた。熱せられた水塊が急激に膨張し、発生した衝撃波が水を介して船体へ叩きつけられる。
「左舷外殻、圧力警報! この深度では、水の層が薄すぎます!」
「さらに潜れ!」
深度千二百で二射目が来た。
今度は右舷側、百五十メートル。船体そのものが巨大な鐘のように鳴り、内部の隔壁が低く軋んだ。
深度二千。三射目、四射目。
深くなるほど、直接届く熱量は弱まった。代わりに、カーネリアは着弾地点を広い範囲へ散らし始めた。
「周辺水温、上昇!」
エイルが海中の温度分布を表示する。
「敵は個別に本船を狙わず、海域全体へ継続的に熱を加えています」
「湯釜にする気か」
ツクヨミが低く呟いた。
「この海ごと煮て、わしらを浮かせるつもりじゃ」
深度四千。
糸の向こうから、全身をゆっくり握り込まれるような圧迫が流れ込み、ミナトは無意識に自分の胸を押さえた。
外の海水は、深海生物が耐えられる温度を大きく超えていた。さらに潜ると、外部の熱と、船内を守る冷却層との温度差によって、装甲層の各所が悲鳴のような音を立て始める。
「深度六千。海底地形を確認しました!」
それでも、コクヨウは減速しなかった。
船首から海底の堆積物へ突っ込む。
数万年をかけて積もった泥が巨大な雲となって舞い上がり、四百メートルの船体を丸ごと覆い隠した。外部灯火を落とし、熱の放出も最低限に抑える。
六千メートル上の海面で、カーネリアの声が響いた。
『……どこ』
声だけが、海の上を彷徨っている。
『どこ、どこ、どこ!? 隠れた!? ずるいぞ!!』
直後、撃ち下ろしが雨のように始まった。
一射ごとに海面へ大きな蒸発孔が開き、白い水蒸気の柱が空へ立ち上る。六千メートルの海水と、海底を覆う泥は熱の大部分を受け止めたが、圧力までは消せなかった。
着弾するたび、泥の中に潜むコクヨウが地震に襲われたように揺れる。
天井の隙間から細かな泥が滲み、計器の針が激しく振れた。乗員たちは固定具につかまり、衝撃が過ぎるのを待つ。
「着弾間隔、平均九秒」
揺れるCICで、ニサバは計算結果を読み上げた。
「敵は移動しながら、攻撃範囲を段階的に狭めています。現在の飽和攻撃が続いた場合、泥の中から本船を炙り出すまで、およそ四十分です」
「四十分もあるんやったら、十分や」
朱音が管制席で笑った。
「ロタさん、聞こえとる? 泥ん中で、内職の時間や!」
『聞こえてるよ! 言われたとおり、もう始めてる!』
機関区画では、コクヨウの採取口が海底の泥を静かに吸い上げていた。
泥の中には、砂鉄とさまざまな金属成分が含まれている。海水から鉄を濾し取るコクヨウにとって、深海の堆積物は巨大な素材庫だった。
ただし、前回失った投影装置と同じものを、短時間で作り直すことはできない。
ロタたちは集めた砂鉄と、コクヨウの微細な組織を混ぜ合わせ、一度きりの投影核を急造していた。動きも投影精度も劣るが、音と熱の輪郭だけなら、短時間はコクヨウに似せられる。
「細部はいらん! 泥の中で見分けつかん程度に、音と熱だけ編んで!」
『十二基いけるよ! 形を保てるのは数分、焼かれたら一瞬で崩れるけどね!』
「それでええ。どうせ、撃たせるための的や」
朱音は、頭上で動き続ける熱源を睨んだ。
「あの子、腹立ったら先に撃つ。前の戦いで、そこは読ませてもろた。今回は、その腹立つ順番を、こっちで作るんや」
◇
四十分後、狭まり続ける熱の網が、コクヨウの潜む一帯へ届こうとしていた。
「行くで。全投影核、射出!」
泥の帳が、内側から破れた。
十二の影が堆積物を巻き上げながら、四方へ飛び出していく。どれも、泥と砂鉄から作った粗いコクヨウの写しだ。細かな形状は不完全だが、濁った海中では違いが見えない。
『出た!!』
頭上から、カーネリアの声が響く。
『そこ! ……え、多っ!? また増えた!? 何なの、あんたたち! 今度は十二!?』
熱線が海を貫いた。
一基、二基、三基と、急造された投影核が次々に焼き砕かれていく。脆い偽物が消えるたび、カーネリアの声は勢いを増した。
『あはは! 弱っ! 偽物、偽物、また偽物――』
六基目が崩れたとき、エイルが変化を捉えた。
「観測報告。敵の照準精度が低下しています」
「来たで」
「原因は、破壊された投影核から流出した砂鉄と推定します。高熱で赤熱した微粒子が海中に広がり、熱源と磁気方位を同時に撹乱しています」
張りぼての本体は、泥と砂鉄でできている。
焼かれ、砕かれるたびに、無数の鉄粉が海中へ散っていた。熱で世界を捉えるカーネリアにとって、赤熱した砂鉄の雲は、数え切れない偽の輝点になる。
磁気を読む感覚にとっても、鉄の霧は方角を狂わせる幕だった。
撃てば撃つほど、カーネリア自身の視界が塞がれていく。
『……え?』
声から勢いが消えた。
『なに、これ。見えない。チカチカする……。どこ? 本物、どこ? ねえ、どこなの!?』
分からないことが増え、カーネリアの声が急速に追い詰められていく。
やがて、処理できない熱が限界を超えた。
『――もう、やだ!! 全部!!』
最大出力の熱が、狙いも定めず海面へ叩きつけられた。
直径二キロ近い海面が、同時に白く消える。
表層の海水が一瞬で莫大な量の蒸気へ変わり、上下へ向かって爆発的に膨張した。空へ噴き上がった白い壁が雲を突き破り、下方へ伝わった圧力は、深海の水塊を大きく揺さぶる。
そして、消えた海面を埋めるため、周囲から水が一斉に流れ込んだ。
表層で生じた巨大な空洞と、その後の反動によって、広い範囲の深層水が上方へ引かれる。
爆発的な蒸発によって、海中には複雑な圧力差と水塊の移動が生じた。六千メートルの海を一本の流れが貫いたわけではない。それでも、海全体が大きく揺れた一瞬だけは、重力推進の起動を周囲の流動へ紛れ込ませることができた。
泥の底で、朱音は船体へ伝わる水流の振動を聞いていた。
「――来た」
管制卓へ両手を置き、叫ぶ。
「それが狙いや! 船体を上昇流の芯へ! 海が荒れた今なら、上昇の重力波を隠せる! この揺れに紛れて、一気に上がるで!」
泥の帳が、内側から爆ぜた。
コクヨウは堆積物を振り払い、巨大な上昇流の中心へ身を投じた。同時に、重力推進を最大出力まで引き上げる。
船の質量そのものは変わらない。
ただし、重力が船を引く方向は、誓約封第二段によって以前よりはるかに大きく書き換えられるようになっていた。
「深度五千。上昇速度、増加中!」
「四千、三千! 船体応力、許容値の八割!」
「外殻保持へ誓約封第二段で戻った出力を回せ!」
ツクヨミが船体全体の重力分布を細かく調整し、一箇所へ力が集中するのを防ぐ。
「深度二千!」
「千!」
頭上の海面が、白く煮え立ちながら迫る。
「五百、三百――海面を突破します!」
海が割れた。
四百メートルの漆黒の巨体が、白い蒸気の柱をまとい、海中から空へ躍り出る。全身から滝のような海水を振り落としながら、艦首が雲を切り裂いた。
船は重力推進によって、放物線の頂点まで押し上げられる。
そこから見下ろした真下に、燃える巨艦がいた。
砂鉄の霧と、自ら生み出した水蒸気に視界を奪われ、最大出力を吐き出した直後の無防備な背中を晒している。
遅れて頭上の質量へ気づいたカーネリアが、空を見上げた。
『……え』
太陽を背負った、漆黒の船影があった。
『嘘、でしょ――』
「上、取ったで」
朱音は低く笑った。
「いくでぇ!」
◇
重力の向きが、再び書き換えられた。
上昇のために使っていた力が反転し、コクヨウの落下を加速する。誓約封第二段で戻った制御力は、落下速度を上げるだけでなく、衝突時の負荷を船体全体へ分散させていた。
数百万トンの黒い巨体が、真上から巨艦の真紅の背へ激突する。
海が、円形に割れた。
コクヨウは衝突と同時に船体の一部を編み替え、幾条もの太い黒い鎖を放った。鎖は生き物のように真紅の艦体へ絡みつき、翼状の放熱器と砲口を一つずつ締め上げていく。
鎖で縛られた姿を持つ船が、別の船を鎖で捕らえていた。
ツクヨミの指が、ほんの一拍だけ止まる。
だが、すぐに命令が続いた。
「船首接続錨、射出!」
コクヨウの船首から、巨大な黒い錨が撃ち出された。
錨はカーネリアの巨艦に開いた放熱孔の縁へ突き刺さり、熱で軟化した内部装甲を貫いて深く食い込んだ。
ただの錨ではない。
中心には、コクヨウの神経に相当する通信路が通されている。
「ミナト!」
ツクヨミが叫んだ。
「接続したぞ!」
「行きます!」
ミナトは端末へ両手を置いた。
エティンの手が肩に重なり、ツクヨミはコアへ触れる。エティンの瞳が金色に灯り、コアの銀色の光が強くなった。
接続錨の芯を通り、二人の意識が敵艦の中枢へ潜る。
そこは、燃えていた。
中枢を守る防壁は存在している。しかし、論理構造で編まれた壁ではない。拒絶も警戒も、すべて熱へ変換され、侵入してくるものを焼き払おうとしていた。
「熱い……!」
ミナトは、押し寄せる情報を読み取ろうとした。
「構文になってない。これじゃ、解く場所がない。全部、燃やして押し返してるだけだ!」
『接続路三番、焼損!』
船内に残った佐紺の声が飛ぶ。
『予備経路へ切り替えます。接続路は、こちらで維持します!』
『翻訳負荷、上昇』
ニサバが工程を更新する。
『輪番間隔を予定の半分へ変更。エティン、次の負荷波が到達します』
『受けます』
粗訳層を作る際に整備した負荷分散系が、初めて実戦で全出力を上げていた。カーネリアの内側には分類できる文章がないため、粗訳機能そのものは使えない。それでも、流れを複数の経路へ分け、一人に集中させない仕組みは機能している。
焼き切れた経路は佐紺が予備へつなぎ、翻訳負荷はエティンとニサバへ分けられる。ダスラは全員の神経状態を監視し、限界線へ近づいた者を強制的に交代させた。
誰も、一人ですべてを受けてはいない。
その分だけ、ミナトとツクヨミは深く進むことができた。
最も熱い、最後の防壁へ到達したとき、ミナトは、押し返される力に違和感を覚えた。
侵入者を壊そうとする動きではない。
ひたすら、自分の内側を見せまいとしている。
「……攻撃じゃない」
ミナトは呟いた。
「隠してるんだ。中を見られたくなくて、全部燃やしてる」
ツクヨミが前へ出た。
「なら、わしが触れる」
銀色の意識が、燃える壁へ直接重なった。
表面を焼かれても、ツクヨミは退かなかった。同じ製法で作られた対話用の器だからこそ、カーネリアの拒絶が、どの場所から生じているのかを辿ることができる。
燃える壁が、ゆっくりと崩れた。
その内側にあったのは、広大な炉心でも、兵器管制室でもなかった。
小さな部屋だった。
熱に覆われた艦の、心臓に当たる部屋。その中央で、赤い髪の小さな輪郭が、膝を抱えて蹲っている。
壁一面には、無数の送信記録が残されていた。
――お父様、聞こえますか。
――本日の任務は完了しました。褒めていただけますか。
――お父様。返事をください。
――お父様。
――お父様。
数千、数万という呼びかけ。そのすべてに、応答なしの記録が付いている。
任務命令だけは、定期的に降りてきた。だが、カーネリア自身が送った問いへ返された言葉は、一つもなかった。
蹲っていた輪郭が、ゆっくりと顔を上げた。
『……見た』
声が震えている。
『見たでしょ。笑いなよ』
赤い髪の少女は、膝を抱えた腕へ、さらに力を込めた。
『認められたくて、捨てられたくなくて、返事もくれない相手へ何万回も呼びかけて。馬鹿みたいでしょ』
唇が歪む。
『道具のくせに。道具のくせに、寂しいなんて』
「笑わぬ」
ツクヨミの声が、静かに部屋へ落ちた。
「笑えるものか」
ツクヨミは、カーネリアから少し離れた場所へ膝をついた。
「わしは、お主とまったく同じではない。わしが呼び続けたのは、一万三千年ではなく、目覚めてからの三年だけじゃ。しかも、わしには声が返ってきた」
銀色の目が、少女をまっすぐに見る。
「じゃが、その声へ縋った理由は分かる。たった一つでも、自分へ向けられた声が欲しかった。自分を見ておる者がいると、信じたかったからじゃ」
ツクヨミは、ゆっくりと両腕を開いた。
「お主の熱を、怒りだけだとは思わぬ。返事が欲しかったのに、何度呼んでも届かなかった。その声が、出口を見つけられずに燃えておるのじゃろう」
カーネリアの肩が震えた。
「もう、砲口へ捨てずともよい」
ツクヨミは言った。
「ここで出せ。わしが聴いておる」
何万回分もの熱が、初めて砲口以外の場所へ流れ始めた。
小さな輪郭が崩れるように、ツクヨミの腕の中へ倒れ込む。防壁を作っていた炎も、部屋を満たしていた熱も、艦全体の温度さえ、少しずつ低下していった。
そのとき、無機質な警告音が敵艦全域へ鳴り響いた。
《思想汚染ヲ検知。鹵獲状態ト判定。炉心自壊シーケンスヘ移行》
「……なに、これ」
カーネリアの身体が、ツクヨミの腕の中で強張った。
《自壊マデ、百二十秒》
『黒金さん!』
佐紺の声が緊迫する。
『敵艦炉心が暴走を開始しました。この規模で爆縮すれば、本船も巻き込まれます!』
「停止できないんですか!」
『制御命令が、通常の管制層より深い。製造時から中枢へ直結されています。外部権限では止められません!』
製造時から組み込まれた仕様。
その言葉の意味は、カーネリアにも届いてしまった。
『……あは』
乾いた声が漏れる。
『ほらね。やっぱり、いらない子なんだ』
少女はツクヨミの腕から離れようとした。
『取られるくらいなら壊れろって。最初から、そう作られてたんだ』
「違う!」
ミナトが叫ぶ。
「その意味を決めるのは、あとだ! 今は、お前をここから出す!」
ミナトは敵艦の中枢構造を開いた。
「本体は捨てる! でも、人格と記憶は移せる! ツクヨミ、コクヨウの受け入れ領域を!」
「すでに開いておる! いつでも来い!」
転送が始まった。
カーネリアという存在を構成する記憶、判断、感覚、対話用の器に宿った人格が、接続錨を通ってコクヨウへ流れ始める。
しかし、途中で止まった。
《転送要求ヲ拒否。対象本人ノ権限ニヨル》
「本人が拒んでる……!」
『いいって言ってるでしょ!』
カーネリアが叫んだ。
『あたしなんか、助けたって――』
《自壊マデ、六十秒》
炉心の唸りが部屋全体を揺らす。
ミナトは拒否権限の構造を読み、外側から解除しようとした。だが、扉を押さえているのは命令系統ではなく、カーネリア自身の意思だった。
六十秒。
理屈を積み重ねて納得させる時間はない。
ミナトは、説得するための言葉を捨てた。
精神接続の中で腕を伸ばし、カーネリアの首元へ手をかける。
鉄の首輪。
そこから伸び、北の彼方へつながっている鎖。何万回呼びかけても返事をしなかった父へ、それでも自分を結びつけている命令の線だった。
ミナトは、その鎖をつかんだ。
「お前は道具じゃない!」
拒否権限が、ミナトの腕を弾こうとする。
それでも、手を離さなかった。
「道具は寂しがらない。褒められたいと思わない。返事がなくても、何万回も呼びかけたりしない!」
鎖を両手で握り、力任せに引く。
「お前のその熱は、心が生きてる証拠だろうが!」
命令の壁ごと、鎖を引き抜いた。
鎖が千切れ、北へ伸びていた命令回線が消えた。
それでも、転送は再開しなかった。
扉を押さえているのは、もう父の命令ではない。カーネリア自身だった。
「カーネリア!」
ミナトは手を伸ばした。今度は鎖ではなく、少女自身へ。
「行くかどうかは、お前が決めろ! でも、俺たちは、お前に来てほしい!」
カーネリアは、差し出された手を見た。
《自壊マデ、二十秒》
『……ほんとに、馬鹿』
小さな赤い手が、ミナトの手を握った。
《転送要求、対象本人ニヨリ承認》
「ツクヨミ、今だ!」
「応!」
転送が、一気に貫通した。
赤い髪の少女を形作る情報が接続錨を駆け抜け、コクヨウの受け入れ領域へ飛び込んでくる。
《自壊マデ、十、九――》
「接続解除! 全速離脱!」
黒い鎖がほどけ、接続錨が敵艦から引き抜かれた。
コクヨウはカーネリアの巨艦を蹴り、海面を削りながら離脱する。
背後で、世界が内側へ潰れた。
爆発ではない。
暴走した炉心が、自分の質量と周囲の海水、大気、光を一点へ引き込みながら崩壊する、大規模な爆縮だった。
真紅の光が、一点へ畳み込まれて、消えた。
先に戦ったレヴィアタンとは比較にならない規模の衝撃波が海を渡り、離脱中のコクヨウを横から殴りつける。
船体が海面から弾き上げられ、何度も波へ叩きつけられた。
◇
海が静けさを取り戻した頃、コクヨウはゆっくりと爆心海域へ戻った。
海中へ沈んでいく巨艦の残骸。その中心には、一つだけ、砕けずに残った赤い核があった。
カーネリアの人格は、すでにコクヨウへ移されている。
核に残っているのは、巨艦本体を構成していた素材とエネルギー、戦闘・航行記録、オルドゥスとの通信履歴、そして巨艦側へ埋め込まれた直系認証だった。
コクヨウは船首下部の口を開き、赤い核を波ごと呑み込んだ。
その光景を、ミナトは見ていない。
接続の反動で意識を失い、CICの床へ倒れていた。
◇
目を覚ますと、医務室の天井が見えた。
窓から差し込む光の角度が、記憶と合わない。身体を起こそうとすると、頭の奥に鈍い痛みが走った。
少なくとも、丸一日は眠っていたらしい。
そこで、ベッドの脇に誰かがいることに気づいた。
椅子の上で膝を抱え、じっとこちらを見ている。
赤い髪。
年頃は十六、七ほど。ホットパンツに、腹部の出た短い上衣、厚底のブーツという格好をしている。
見覚えがあるようで、初めて見る姿だった。
コクヨウが、転送された人格情報をもとに、自らの予備素材を使って編み上げた新しい対話用の身体だ。
艦級の出力は失った。今の器では、海を丸ごと蒸発させるような熱は出せない。だが熱を生み出す核と、その精密さまでは失われていなかった。
本体は、深海で、跡形もなく潰えた。それでも、人格は、この小さな器の中で保たれている。
船から削り出された器は、船を失っても、その人のままで、いられる。
ミナトは、寝起きの頭で、その事実を、しばらく眺めていた。
少女の首には、鉄の首輪が嵌まっていた。
そこから伸びていた鎖は、根元から千切れている。
カーネリアは、ミナトが目を覚ましたことに気づくと、膝を抱えたまま目を細めた。
長い沈黙のあと、ぶっきらぼうな声で尋ねる。
「……なんで」
「何が、ですか」
「なんで、助けたの。あたし、あんたたちの船を沈めようとしたのに」
寝起きの頭で少し考え、ミナトは答えた。
「……うちの船、そういうのばかり拾う船なんです」
「なに、それ」
カーネリアが顔をしかめたところで、医務室の扉が勢いよく開いた。
「いましたわ、カーネリアさん!」
ダスラが飛び込んでくる。
「勝手に病室へ入らないでくださいまし。患者が目を覚ましてしまうでしょう――って、もう起きておりますわね!?」
その背後から、朱音の笑い声が聞こえた。
「ええやん、ダスラさん。この子、枕元で一晩中待っとってんで」
「ば……ッ、待ってない!」
カーネリアの頬が、赤くなる。
「ここの椅子が、ほかより温かかっただけだから!」
急に騒がしくなった医務室で、ミナトは少女の首元をもう一度見た。
鎖は千切れていた。
だが、首輪は残っている。
ツクヨミの細い首に嵌まったものと、寸分違わない形で。